2014/03/21

半島を出よ

通勤中に読んだ本。今月は3冊でした。

「やがて哀しき外国語」は、村上春樹の91年から2年半の米国滞在記。
エッセイのようなもので、電車の中で読むにはピッタリでした。
毎回「ちゃんと」落ちがあって、ほほぅと思っていましたが、
そういえばこの御仁は関西出身だったな、と変なところで納得してしまった。

・アメリカで走ること、日本で走ること
・運動靴をはいて床屋にいこう

上の2話が個人的には面白かったです。

「半島を出よ」村上龍
福岡が五百人の北朝鮮テロリストに占拠され、日本政府は九州を封鎖する。
占領下の福岡では、友軍を待つテロリスト、奪還を目論む政府、打倒テロリストを企む
少年たちの思惑が入り乱れる。

本書の発売は2005年。舞台設定は当時近未来の2010年・2011年でした。
基盤経済の沈下にともない日本が国際的な影響力と信用を失い、竹島や尖閣諸島を巡って
韓国・中国との対立を深化させ、アメリカは経済力の低下から世界の警察であることを放
棄し、日米同盟も解消の危機を迎えるという環境設定なのですが、残念ながら殆どのこと
は現実になっています。幸いなことに北朝鮮の侵攻は起きておりませんが、イラクのクェ
ート侵攻を例にとっても分かるとおり現実的に起こりうる話だと思います。

物語の強度を高めるのは圧倒的な情報量。上下巻で約1,100頁にもなる今作は、北朝鮮国内
の生活からヤドクカエルの生育方法に至るまで多種多様な事柄が細部に亘って描かれてい
ます。勉強する作家・村上龍の真骨頂。

小説である以上は「落ち」(カタルシス)は必要なのですが、テロリストを絶対悪とし
て、少年たちが悪に立ち向かうという安直な対立構造で描かれなかった点も好感がもてま
した。また外国人の目線から日本を描いた小説であることも革新的だと思います。

あとがきで島田雅彦氏も書いていますが、優れた小説は「共感を確かめ合うというより
は、情報量の多さを誇り、それが本当にあったことのように錯覚させる」ものだと思いま
す。その意味で本書は、鑑賞には適さない小説だと思います。危機的状況で人々がどによう
な思惑に基づき行動したかを疑似体験できることに魅力があります。


■備忘録(本書からの引用)

「あきらめというのは巨大な力に従うことを受け入れることで、巨大な力への抵抗を放棄
することだ。力は暴力を内包し、暴力に支えられている。長く平和に親しみ暴力に慣れて
いない人間は、非人間的な暴力を行使するのもいやだし、非人間的な暴力を行使されるの
もいやがる。そもそも暴力を想像することもできない。暴力を想像することができない人
間が意思として暴力を行使できるわけがない。」

「チョ・スリョンは退廃とは何かを考えてきた。だが、それは自らの足元にあった。真の
退廃とは、多数のために力のない少数者が犠牲になることだ。アリラン祭が頭に浮かんだ。
あの祭りは、多数派とその権力の正当性を誇示する大規模な催しに過ぎなかったと思った。
(中略)統治や政治というものは、力の弱い少数派を犠牲にする装置を最初から内包して
いるのだ。集団や軍や国家の均衡がとれている間、その装置は穏やかで目立たない。だが
危機に際して装置は稼動し、必ず少数派が犠牲になり、少数者に組み入れられることを誰もが
忌避しようとして、その瞬間隠蔽されていた退廃が露になる。」






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